I am who I am

自意識過剰の物語

Prologue

自分が相当に自意識過剰な人間であるということを認識するまで、28年と半年かかった。
他者との関係や仕事、恋愛など多方面でネガティブな感情に苛まれてきた身としては、願わくば、もう少し早く気づきたかったと思う。

自意識過剰な性質は、私の悪い思考パターンの言わば腫瘍みたいなものだったようだ。

例えば、私は、何かあるたびに自分に原因があると思い込んでいた。
家庭の不和、クラスの学級崩壊、友人との関係、恋人との関係、仕事でのあれこれ。
物心ついたときから、いつも自分が何とかしなければと背負い込んでいた。

今になって冷静に考えてみれば、問題の多くは明らかに自分のキャパシティーを超えていることばかりだったのだけれど、何か働きかけをして、うまくいかなければ、自分の努力や能力が至らないからだと責めた。
考えるのをやめようとする時は、問題から逃げているような後ろめたい気持ちになり、自分を卑怯者だと感じた。

ずいぶん幼い時から精神的に疲弊してしまった私は、いつしか、人と積極的に関わることを避けるようになってしまった。
人とコミュニケーションを取ることを極力控えれば、気疲れしたり、自分のコンプレックスと戦う必要が無くなると思った。
一人でいることを好むようになる一方で、寂しさを恋愛や仕事で紛らわそうとした。

what the shit.

こうして書き起こしてみると、自分がいかに自分を閉じ込めて続けてきてしまったのかがよく分かる。
同時に、自分の言葉によって整理することで、これまで経験したことがない安堵感を感じることができる。

最初から、何も悪くはなかった。
誰も、私にヒーローとしての役割を期待してなどいなかった。
子供の私は、ただ伸び伸びと、自分の好きなことを見つけ、それに打ち込めば良かった。あるいは、それこそが、子供の責任だったのかもしれない。
それを、必要以上に肥大化した自意識が勝手に世界の物語を書き換え、余計な責任感やヒロイズムを植え付けてしまった。

私は、過去の私を救ってあげたい。
同時に、未来の私には伸び伸びと生きてもらいたい。

これは、自意識過剰だったが故に歪んだストーリーによって自分自身を苦しめてきた私が、ストーリーの再構築によって、自分を救済し、解放するためのブログである。